4年前、「動物が亡くなったあと行くところ」と考えられている“虹の橋”に、13年間私と過ごした大切な愛犬ララを見送りました。

名前の由来はなく、何となく決まったシーズー犬のララは、茶色と白の毛並みのオスでした。
ペットショップで私と目が合い、父が買ってくれたララは、元気で活発な性格で、人が来ても鳴きませんでした。

両親と祖父母、兄、私の6人家族の元に来たララは、鼻と体を使いケージの隙間から脱走し、家族のところに来ていたほど、とにかく元気でした。
縁側のカーテンとガラス戸が開いていても、外に出て行かない安心感がありました。
我が家に来たばかりの頃、小さく可愛かったララは、みんなのアイドルでした。
当時小さかった私は、ケージに入れる意味が分からず、「出してあげて」と泣いていました。
「自分の部屋」とわかってもらうため、「出すのは、もう少し待って」と言う母を泣いて説得し、少し出してもらったこと、「ケージと一緒だったら寝ていいよ」と言われ嬉しかったです。
朝、母がケージの扉を開け、私と兄を起こそうとララに勢いよくペロペロなめられ、くすぐったかったので大変でした。
散歩のとき、私の歩行器にリードが絡まり転倒したり、座るとララより小さく、襲われたりしました。
抱っこや散歩などで兄も可愛がっていたララは、バーベキューや花火のときも一緒でとても楽しかったです。

両親が離婚し、母と私、兄が家から出ていった小学5年生のとき、生まれ育った我が家と、会えなくなるララとの別れの悲しみが、とても大きかったことを覚えています。
「いつでも来ていい」という父に会えたものの、自宅に帰ると寂しかったです。
ララは急にいなくなった私たち3人をどう思っていたのか、なぜ?、来てくれて嬉しいなどの気持ちがあったのか、いろいろな思いが去来しました。

私たち3人がお盆と正月にしか帰らなくなってきた頃、年月を重ねてきた父に人生に関わるいろいろなことが起き始めていました。
そんな中、ララが祖父母の気持ちに寄り添い元気づけていたおかげで、私が不安で眠れなかった夜でも、父のようにいびきをかいて寝ていました。
「家にいないはずの男のいびきが聞こえるの」と親戚が疑問に思ったほど、そっくりでした。
そんなララのいつもと変わらない姿に、私は安心感と安らぎを得ていました。

その後2年ほど経過した大晦日、父の家に遊びに行くと、普段あまり鳴かなかったララが苦しそうに鳴いていました。
祖母に聞いてみると「半年ぐらい前から鳴いている」と言い、あまりに苦しそうに鳴くララに、私も胸が苦しくなりました。
近くで見たあまりにも変わり果てた昔の元気がないララの姿に、私は思わず「今までありがとう。もういいよ。好きなときに逝って」と声をかけました。
1月3日の深夜、トイレに起きた私が戻ろうとしたとき、大きな声でララが「キャン」と鳴いたあと、ずっと鳴いていた鳴き声が聞こえなくなりました。
朝になり祖父がララを見ると、“虹の橋”へと渡っていました。
父と一緒に火葬に行き、祖母が言ったとおり「ララは、最期に私たち兄妹の顔を見てから逝った」と確かに思いました。
兄が、必ずララを撫でてから帰っていたことや、父の家に「帰る」と言えば、生前ララはお盆も正月も朝から廊下で私を待っていたことを踏まえると、祖母の言葉に納得しました。

ララがいたおかげで、私の家族が変化しました。
嫌なことがあっても忘れられ、散歩の影響で運動不足が解消し体力がついたと同時に、出会った人たちとのお喋りによって、社交性が身につきました。
さらに、笑顔が増え、いつも傍にあったモフモフふわふわの毛並みによって、安心感が得られました。
ララのおかげで、心が安定していた私の家族は、笑顔があふれ毎日幸せでした。

小学2年生から20歳を過ぎた頃まで、私の成長を見守ってくれたララは、小さな兄でした。
ララがいたから、嫌なことやつらいことがあっても、頑張れたうえ、周囲に笑顔が増えた温かい雰囲気がとてもよかったです。
犬や動物たちとよい思い出を作ってほしいものです。